真面目に不真面目に

日々思ったことをひたすら書くだけのブログ

僕が就活を頑張れない3つの理由

こんにちわ、久しぶりにブログを書きます。

最近就活をしているけど全く頑張れてないです。

でも頑張れない理由がある程度分かってきたので紹介したいと思います。

 

1.金と時間の無駄に思えてきた

まあ、一つ目はこれだね。なんだかんだで就活すると

会社説明会とか筆記試験とかに何度も行くことになって交通費と時間が

無駄になるんだよね。面接の数とかに違いがあるからなんとも言えないんだけど

就活は基本的に会社説明会(筆記試験)→一次面接→二次面接→最終面接

っていう流れでこれが20社受けるとなると相当きついわけなんだよ。

正直、そんなのに時間使う位なら漫画を読んだり旅行に行ったりしたい。

人事部の人たちも面接ばっかで大変だろうし俺に一発で内定出して楽になろうよ。

 

2.目標が特に無い

これはまあ仕方無い。そもそもそんなに働きたくないし。

むしろ「ここの会社に入ってこれがやりたい!」って言える人の方が

少ない気がする。結局は入ってから目標を見つけるのが一番良いのかもしれない。

実際、大学の教授とかも教授になりたいから勉強したっていうより勉強してたら

教授になりたくなったとかだと思うし、

野球選手とかもプロになりたいと思って野球初めたというよりはむしろ

野球初めてからプロの選手になりたいと思ったんだろう。

まあ、先に目標があってそれを初めた人もいるんだろうけど。

→こうして見ると逆に入ることを目標にできる人はけっこう頑張れる気がする。

メガバンクとか外資系とか狙ってる人のほとんどはある意味入ることが目標だろうし

実際彼らのバイタリティはすごい。これは目標があるからと言えそうだ。

 

 

3.失敗しても死なない

これが多分一番の原因。まあいわゆる危機感が足りないっていうやつ。

実際、今の時代ずっと続くと多少きついかもしれないけど一年や二年なら

フリーターでも余裕で生きていけるからだ。東京ならコンビニのバイトで

22:00~6:00とかで週5回シフト入れば月20万位稼げるから実家なら金が余る位だ。

もう現代の日本においては贅沢さえしなければ飢えることはほぼ無い。

 

昔の狩猟をしていた時代とかだと失敗したらワンチャンどころか普通に死ぬ

からどうしようもなかったが今の時代ならせいぜい周りに何か言われる位

でしょ。まあ就活失敗すると「あいつどこかに問題あるんじゃね」みたいな

目で見てくる人は間違いなく結構いるだろうけど、当然殺される訳では無い。

 

 

まとめ

まあ、そんなこというなら就活しなきゃいいんじゃねとは思うかもしれないけど

やっぱり社会的立場というのも大事だと思うので早く定職に就きたい。

ということで、僕は就活をあまり頑張れないみたいなので

とりあえずなるべく頑張らずに内定を決めれたらいいなと思ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほとんどの人は誰かを見下して優越感を得たいと思っている。

今まで20年間位生きてきて分かったけどやっぱりほとんどの人間は誰かを見下して

優越感を得ようとしている。

 

例えば、起業家とかはやっぱりサラリーマンのこと馬鹿にしてるし、

フリーランスとかで独立した人もやっぱり会社に囚われている人ってことで

サラリーマンをバカにしている人は多い。

サラリーマンとかでも年収1000万円とか稼ぐ大企業の人はパチンコの店員とか

ゲームセンターの店員とかを正直見下しているはずだ。

早稲田とか慶應に言っている人も実際に口に出して言ってはいないかもしれないが

心のどこかではFランク大学の人を見下しているはずだ。これは2ちゃんねるとかを

見ても明らかである。

また、東大の人と京大の人が話しあう番組とかでもそれは顕著にみられる。

たしか好きか嫌いか言う時間とかいう番組だった気がするが、この番組では

東大vs京大の人がそれぞれの大学の良いところを話している。

そこで東大の奴は京大の入試問題は簡単だと言って、京大の奴は東大を

官僚養成学校とか言ってる場面がある。

 

まあ全員がそうではないんだろうけど、このあたりの事はみんな大体

心当たりはあるでしょ。生活保護ニートを叩くのだってそう。

こいつはクズで自分より格下だって思うことで優越感を得たいだけだ。

そうでない人もいるとは思うけど、大体の人がそういう気持ちを持っているので

それを踏まえると少し生きやすくなるかもね。

何か自分の出来ない事で誰かに馬鹿にされたら

「あーこいつ俺の事見下して優越感得たいんだな~」

っていう気持ちでいられればもう最強である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高級な車とか腕時計買うために金を使う庶民は頭が悪すぎる

別に高級な時計とか車を買うことが悪いって言ってるわけでは無い。

プロ野球選手とか経営者みたいな憶稼いでいる人とか、テレビに沢山

出るような有名人はステータスにもなるから買うのは良いと思う。

 

ただ、庶民(普通のサラリーマン)がこういった高級品買うために

一生懸命働いて必死に金を貯めたりするのはやっぱり馬鹿だと

思うんだよね。

ぶっちゃけ時計なんか時間が見れれば良いし、車だって移動が

出来れば良いわけでしょ。

実際、安い時計だから時間が正しくないとか安い車だから移動に

制限があるみたいなことは無いんだし。

 

それに高いモノを買うと傷つくのが怖くなる。

安いモノならまあ傷つくのは嫌だとしても

そこまで気にならないと思うんだよね。

 

まとめ

 

・高級品ということで持っているとステータスにはなる

・機能的な面で言えば車や時計は安いモノと高いモノでほとんど変わらない

・高いモノを買うと傷ついた場合のショックが大きい

 →ということでやっぱりこれらのモノは贅沢品なので

お金が無いような庶民が高い金を払って買うようなモノではないと

判断した。

賢明な庶民はこういったモノにお金を使わず投資をしたり

勉強会とかセミナーに行くお金にした方が良いだろう。

そして多くの収入を得られるようになったら買えばよい。

 

まあ自分はお金が貯まったとしても買わないけど。

 

 

 

 

 

現代社会の労働者は奴隷である。

 

タイトルの通りです。労働者ははっきり言って奴隷である。資本家の人たちが

労働者から搾取するっていう社会はすでに成り立っている。株式会社は株主のために

あるので企業が利益を上げても労働者にはほとんど還元されない。つまり会社が利益を

上げたら配当金として資本家に還元されている。そしてその資本家はその金を企業に

また投資する。企業はその金で設備投資などをしてまた利益を上げる。

これが繰り返されているのが現状である。この過程において労働者は重視されない。

はっきり言って使い捨ての駒である。ギリギリ辞めないレベルの給料を設定している。

たとえ辞める人がいても新たな奴隷が補充される。

 

ここで「そんなことは無い。俺たちの給料は上がるはずだ。」と信じている人が

もしかしたらいるかもしれない。しかし、企業は投資家を集めるために

利益を上げないといけない。そう考えた場合、人件費を削るのが最も有効な方法

であることは明白である。これは某牛丼チェーン店のワンオペなどを見れば

分かるだろう。競争が激しくなった今、差別化できる要素が減ってきている。

正直味はどこも大差なく消費者は安いモノを求める。そこで利益を上げるために

人件費を削るというわけである。人数を減らせば一人当たりの負担は

増えるが駒としてしか見られていないから仕方ない。

 

とまあ、このように企業は株主のためにあるから労働者は奴隷になるしか

なく、賃金が大幅に上がることはまず考えられない。

しかし、このことに気付いて労働者から抜け出そうと思えただけでも

他の人たちとはかなりの差をつけていると考えてよい。

もしかしたら年収1000万越えの人たちは不快に思うかもしれない。

しかし、これが現実である。いくら金を貰おうが株主にとって

労働者は駒でしかないという現実は否定しようがない。

 

どうやって奴隷から解放されようか??

って考えてみたけど僕は最初のうちは労働者として我慢するのが

一番良いんじゃないかって思っている。ただ賃金だけではなく

ブログやyoutubeなどの副業をするなりして意識を高めて置く事が

必要だと思う。労働だけをしていると会社に洗脳されて搾取の

対象であることに危機感を抱かなくなる可能性があるからだ。

そしてある程度のお金を持ったら資産を運用して搾取する側に

入ろう。

もちろん簡単ではないだろうけど、今奴隷としてではなく人間として

生きていくためには洗脳されずに搾取する側に回る努力を続けるべきである。

 

 

犠牲フライで打率が下がらない件について

タイトルの通り。自分は野球をよく見るがこれが本当に納得できない。

打率ってヒット数÷打数で求めれるから単純な話し、10打席あって

3回ヒット打って残り7回アウトなら打率3割っていう事になる。

ただここで大きな問題が入る。なぜかランナー三塁でフライを打って

ランナーが生還すると打数に含まれなくなる。

つまりさっきの例だと残りの7打席が全部ランナー三塁においてのフライで

なおかつランナーが生還するなら打率が10割になる。

これは非常におかしい。なぜならランナー三塁においてゴロを打って1点

入れたとしてもこの場合は打数に換算されるからだ。つまり、同じように

ランナーが生還しても外野フライの場合と内野ゴロの場合で扱いが違う。

これを認めた場合、同じアウトでも外野フライと内野ゴロで価値が違うことに

なってしまう。

 

というように正直意味が分からないし直ちにルールを

訂正してもらいたいところではあるが自分なりにこれがまかり通ってる原因を

考えてみた。そうすると犠牲フライという名前からも分かるが自分が犠牲に

なり何かのために役立つということを尊いと思う思想のようなものが現れ

ていると感じた。じゃあなぜゴロで1点入れた時は犠牲ゴロって言わないのって

思う人もいるかもしれないがこれは確率の問題だと思っている。

ゴロは相手が捕球をしてからも送球ミスで生き残る可能性があるうえ、フライ

よりも捕球ミスの確率が低い。フライの場合はよっぽどのことが無い限り

捕球ミスをすることは無い。つまり打ち上げた瞬間ほぼ確実に犠牲になるのである。

しかしながらそれでもランナーが生還出来れば自分の犠牲の上で誰かを助けたと

いうことになるためそれで犠牲フライは打数に含まれなくなったのかもしれない。

 

いずれにしてもこのルールにおいてはたまたまランナーが三塁にいて

フライを打ち上げてアウトになった人の打率が下がらないということで

とても疑問でありそのことで首位打者が変わってくる可能性もあるので

早急にルールを変更してほしい。

また、それによってゴロで点を入れた人は評価されないが

外野フライでの点を入れた人は最低限の仕事をしたというように

適切な評価がされなくなるのも問題だと思っている。

 

このようにあるおかしな点を見つけてそれについて分析するということは

これからもやっていきたい。実際はその物事に大した意味は無いのかも

しれないがこうして色々考えてみるとやっぱり楽しい。

ということで、今後も野球のルールにおいてなにかおかしな点を

見つけたらこのブログに書いていきたい。